最近、風呂場ん中で読書をするというのにハマっている。
湿気で本がフニャフニャになるのだが、ま、あまり気にしないことにしている。
昨日から「探しものは心の中に―アメリカ子育て日記」を読み始めた。正直、私は後悔している。
こんな良い本を風呂場とかで読むのは罰当たりだという気がしている。
探しものは心の中に―アメリカ子育て日記の中にでてくる、ある言葉は私を幼少の時分へとタイムトリップさせてくれる。
誰の心の中にもある風景。「探しものは心の中に―アメリカ子育て日記」の中にはそれがあるような気がする。とりあえず表紙がフニャフニャになってしまったので、もう一冊買うかも知れない。
彼女のコンプレックスが見えてくる
八神純子。
彼女は今でも日本歌謡界において屈指の女性ボーカリストだと思う。
そんな彼女が、30代最後に綴ったエッセイだ。
このエッセイでは彼女が妻としてそして母となって、自分自身の中に芽生えた感情が赤裸々に語られている。
全般的には、日本においての露出が少なくなった中で、日々の生活風景が近況のように語られていると思った方がいい。
私が特に注目したのは、ニューミュージック界のアイドルとして君臨した時分において、華やかな雰囲気やまわりからチヤホヤされたりしたことを全く楽しむことができなかったとその時の心情を吐露していることだ。
この心情は彼女のコンプレックスから生まれて来ているものだということもこの本から見えてくる。
八神純子の歌の世界が好きであるなら、彼女の心情が透けて見えてくるこのエッセイを読むことで、更に純子ワールドの世界にはまりこむのは必至である。

